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旅、ごはん、歌、臨床心理の勉強など興味のあることと、考えたことの記述

「凍り付き」とは? #トラウマ研究会  vol. 01

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最近,#トラウマ研究会 に参加している。ここでいま取り組んでいるのは,「トラウマによる解離からの回復(ジェニーナ・フィッシャー著)」を読み,トラウマ治療にまつわる技法や用語の,わかるようではっきりわからない言葉の定義や異同等々を整理していく,という作業。

 

自分は心理士(臨床心理士/公認心理師)で,メインの関心領域は発達支援とトラウマ治療だが,それに加えて,複雑性PTSDでトラウマ治療を数年間受けた体験があるため,トラウマ治療に関しては,治療者と当事者の両視点を持っていると感じている。

 

この会の主催はピア・スキーマ療法の実践者で,哲学対話のケア的側面についてスキーマ療法の観点から分析するなど研究活動もされているまりんさん。それに,ピア・スキーマ療法を実践され,他のさまざまなトラウマ治療についても詳しい水蜜桃さんと,自分の3人で,トラウマ治療関連についてSNS上でやりとりしていたら,いつのまにか研究会として発足した。私達のほか,トラウマ治療に興味を持っておられる他分野の方々が様々なかたちで参加している。

 

さて,今読んでいる本「トラウマによる解離からの回復(ジェニーナ・フィッシャー著)」は,さまざまなやり方がこれまでになされてきたが,つまるところトラウマからの回復には何を知っておけばよいか+どう導けばよいかということが述べられている。

 

大筋としては

(1)神経生物学的な観点から身体になにがおきるか,の知識と,セルフモニタリングやセルフリラクセーション(過去を想起してもそのときの身体感覚に巻き込まれず,常に現在の安全に意識を向けていることができるようになるため)の習得。

(2)内的な人格たち(この本の中では「分断化」した「パーツ」たち)の認識と内的なコミュニケーション方法の習得。

以上二つを軸にして行うトラウマ治療について,短い事例を交えながら紹介している。

 

この本はとてもいいことが書いてあると思うんだけど,なぜか分かりにくい。理由はいろいろあると思うけど,一つには,出て来る用語に明確な定義や完全な一致がみられないことが原因のような気がする。

 

今日はいきなりだけど,そんな,なんとなくぼんやり出て来た語のひとつ「凍り付き」という言葉(第3章頃に出て来る)について,このことをさしているのでは,と思ったことをかきとめておく。

 

「凍り付き」とは?

人は,苦痛な体験そするとき「助けをもとめる」「たたかう,逃げる」などの方策をとるが,それでも苦痛から逃れることができないときに,「凍り付き」といわれる現象が起きる。

 

ストレス状況におかれた人の反応については,ふるくはキャノンの「闘争(Fight)・逃走(Flight)反応」が有名であった。危機的な状況に直面したとき,人は交感神経が活性化された状態になり,「闘争か逃走」を行う,と考えられてきた。しかし,この理論には「凍り付き」がなぜどのようなメカニズムで起きるのか,は含まれていなかった。

その後,解離を説明する理論として「ポリヴェーガル理論」という危機状況の反応モデルが提唱された。これは危機的な状況で逃げられない人がとる反応「凍り付き(Freeze)」を説明するモデルである。

☆ポリヴェーガル理論とは:ステファン・W・ポージェスが提唱した,自律神経系に関する新しい適応的機能のモデルである。自律神経系が,交感神経と副交感神経の拮抗のみではなく

1)原初的な「背側迷走神経」と,

2)進化型の「腹側迷走神経」と,

3)「交感神経と副交感神経」の拮抗,

の3つからなるとする。

上記のうち,1)の背側迷走神経が危機対応で働くとき「凍り付き」が起きる。「不動」「シャットダウン」「擬死」「死んだふり」とも言われる。野生の草食動物が肉食動物から逃げ切れずどうしようもないときに死んだような状態になるメカニズムと同じ,とのこと。

 

危機状態での人の反応順は,まず

2)の「腹側迷走神経」が働くと社会交流システムが活性化し,人間関係をとおして「助けを求める」行動に出る。それがうまくいかないとき

3)の交感神経系が働き,「闘争か逃走」を試みる。交感神経の活性化が限界を超えたとき

1)の「背側迷走神経」が働いて「凍り付き」という状況が起こる。

 

とのことである。

「凍り付き」が起きると,動かなくなる不動状態となると同時に、心拍数が低下し、呼吸が浅く最低限となり擬死状態(死んだふり状態)となる。

 

動物がこのような反応をするメリットは二つ。

1) 捕食される可能性が低下する(捕食者は死んで腐敗した食べ物を好まず,活きのいいもの選ぶ可能性がある。死ぬことにより,多少は「食べられずにすむ」可能性が高まる)。

2)たとえ捕食されたとしても,擬死により“無感覚”という変性識状態(解離状態)が得られて,苦痛を感じずに済む。

 

以上の理由から「凍り付き」が起きたあと,もし生きていたら,人は社会生活に戻ることができる。しかし「凍り付き」以後のその人は,実は凍り付いたまま生活をしている,ということがある。身体にあらわれる特徴としては,徐脈,無呼吸・・・あとなんだっけ・・・。身体がガチガチに固まっていたりとか,だったかな。

 

自分もこの身体の「凍り付き」に着目してトラウマ治療をする「ソマティック・エクスペリエンシング☆☆」という技法を使うセラピストにかかったことがある。そのとき,セラピストから,1分間の呼吸の数や脈拍を数えるようにいわれた。そして,自分のそれが,通常の人(トラウマ渦にない人という意味)と比べて,極端に少ないということが指摘された。それが,身体がトラウマを受けて凍り付いたままの状態にあるということだ,との説明を受けた。

参考文献:ポリヴェーガル理論入門(ステファン・W.ポージェス)

参考site: https://venus-association.com/v-blog/2019/06/1-2.html

☆☆ソマティック・エクスペリエンシング:ピーター博士の提唱するトラウマ治療の技法。トラウマはその出来事が問題なのでなく,それにより神経整理的反応が変わってしまっていることが問題を引き起こしていると認識し,身体の状態へアプローチしていく。「凍り付き」により行き場を失った強い「闘争・逃走へのエネルギー」を解放することで,少しずつ自己治癒力を高めていくことを目指す。

参考site: https://www.mind-body-psychotherapy.jp/

 

 

実は自分も数年前,この技法のやり方を治療者として学びたいな,と興味を持って調べたことがある。そのワークショップは,居心地のいいゆったりとした場所での合宿形式で設定されていて,数日間連続の研修を何回か,数年に渡って受けるというものだった。私が行こうとしたときは,確か,大分県の温泉地での開催が予定されていた。自分は結局,予算や日程の都合上,受講を断念したが,身体を「凍り付き」から解放する技法なだけあって,気持ちの良い体験ができるような場(温泉)で行うんだなあとか,何回か合宿して仲間としての絆みたいなものを築くのも大切な要素なのかもしれないなあとか,身体からのアプローチは1日にして成らずなんだなぁとか考えた。

 

以上でひとまず「凍り付き」についてのまとめと概観はおわり。 あと,第3章までのハイライトを少しメモします。

 

「トラウマ治療」とは,クライエントが自らトラウマの遺産の存在に気づき,現在の自分が,「トラウマの遺産」とやりとりできるようにすることである。つまり,

①いま出ている不具合は,その当時,生き延びるための方策として役に立った。それを知ること。

②凍り付きの名残はどんな風に出ているのか,その不具合を出しているパーツはいまどんなことを感じているのか,現在の自分が興味を持って耳を傾けること。

③不具合を出しているパーツに,今はもう大丈夫なんだと伝えること。

 

セラピストは,以上のようなことをクライエントが体験していくことができるように,いろいろなことをする。必要に応じて相手への言語的/非言語的な関わりを選んでいく。クライエントを教育し,ミラーリングし,導き,上記のスキルを習得できるようサポートする。

 

(どちらかというと,自分はセラピスト視点多めで読んでるようだ。) 


宿題も持ち帰ったので,追って勉強してまた書きたいと思います。

犯罪理論の整理3(非行理論の三分類)緊張理論:ハーシ:strain theoryほか

@緊張理論(strain theory)

・動機付けを考える理論:正当な欲求であっても遵法的な同調によっては充足できない場合に,逸脱する。階層が低く緊張が高いと,逸脱する。

★動機づけに焦点をあてた理論

※批判1:中流階層の非行が説明できない

※批判2:金銭と地位以外の生活目標を無視している

※批判3:階層以外に障害となる要因を想定していないこと

※批判4:緊張を持ちながら非行に走らない者を説明できないこと

 

@統制理論(control theory)

・逸脱や犯罪への可能性は誰でも持っている。

・社会化が適切になされたかどうか,だけが問題。

★動機づけに焦点をあてない理論。

★罰をおそれるように育ったか?身近な人を傷つけないようにという考えを持つように育ったか?など,罪悪感の内在化ができるようになったか(社会化したか)に焦点をあてた理論。

 

@分化的逸脱理論(cultural deviance theory)

・犯罪は学習される。

 

→つまり・・・

大学生にあてはめて考えてみると

@緊張理論:「大学生」の階層は同等とみなしてよいと考えられる。

@統制理論:「大学生」の社会化の度合いは異なるか?→躾や学校の規則に従う規範意識などは,同等とみなしてよいと考えられる。

@分化的逸脱理論

「大学生」の学習の機会は・・・同等?学校や個人の生活態度によって異なるとも考えられるか?・・・>これにかぎっては議論の余地があるかもしれない。ホワイトカラー犯罪などがここに当てはまるのでは?とすれば,大学生に特有の犯罪(クラブ活動内で起きる集団性犯罪とか?)が存在すると考えられる。

 

三分類は,いずれも社会の状態と個人の関係をみるもの。「個体要因からの犯罪・非行」ではなく,犯罪者も非犯罪者も同じ性質を持つ者である(同質)という考えに基づく。

 

 

 

犯罪理論の整理2(社会的絆理論:ハーシ,1969)

考え方:

@法を守るものも破るものも,逸脱や犯罪への傾向・性質を同様に持っていたと考えるべきである

@なぜ人はルールに従うのか?と考えるべきである

@人がルールに従うには,social bond (社会的絆)が不可欠。

@social bondを築くものは・・・

愛着attachment:重要な他者との情愛的な結びつき

関与commitment:努力,業績など,失いたくないもの

包摂involvement: 忙しくすること,没頭すること

信念belief: 規範意識の内在化

の4つである。

 

犯罪理論を整理1.サザランド 分化的接触理論

大きく分けて二つの視点がある

1.社会・文化的要因

2.生物学的決定論

である。

 

まずは1,社会・文化的要因から。

・社会構造や,社会という文脈と個人の相互関係を犯罪要因と考える考え方である。

・犯罪をする者もしない者も,同質な者であり,社会構造や社会との相互関係が異なるのみ,という考え方に基づいている。

ーサザランド(Sutherland, E.H.)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

分化的接触理論(diffferential association)

@犯罪行動は学習されるもの(訓練を受けた,影響を受けたもののみが犯罪をする。遺伝しない。)

@犯罪行動は,他者との相互作用の中で,主にグループの中で学習される。

@学習内容には,技術・動機・衝動・合理化・態度の特定の方向性(法規範を自分にとって都合がよいとみなすか,悪いとみなすか,その意味付与のこと)

※大学生に当てはめて考えてみると・・・

・一般的には,大学生は社会規範に基づいて行動する(決められた日数だけ学校に通い,決められた単位を履修するなど)

・大学生が犯しやすい犯罪に関してのみ,学習するということがあり得るかもしれない(薬物,いじめ,集団レイプなど)

・大学生において,犯罪的接触パターンは,非大学生に比べて,少ないと考えられる。

・大学生において,つつがなく大学生活を送っている者は,非犯罪的パターンからの隔絶は少ないと思われる。

・大学生においては,中立的なパターン(犯罪に+でも−でもない行動)の経験が最も多い(授業,クラブ活動,就職活動など)と考えられる。

ー>つまり

大学生は,犯罪をしにくい集団であると考えられる。

但し・・・

@分化的接触は,その頻度,持続度,開始時期,接触強度によってさまざまである。

−>つまり

・長い休みになにをしているか?とか,大学のランク,学部,ゼミ,所属する集団により,分化的接触は異なる。

・ひきこもりなど大学に行きにくい学生,バイトや遊びを優先する学生,など中立的なパターン(一般的な大学生活)に接する度合いにも大きな差があるかもしれない。

→大学進学率の増加から,大学も大学生の生活も多様化しているため,一律には考えられない。

@犯罪行動は,欲求や価値によっては説明されない(欲求や価値は'呼吸'のようなものである。それによって遵守行動も規律違反も起こり得るから)。

ーサザランド(Sutherland, E.H.)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

児童青年精神医学学会でBOOMのミヤさんが話した話

勉強のために行った学会で,中学・高校の頃大好きだったロックバンドThe BOOMの宮沢さんの講演があった。びっくりしたけど嬉しくなってその講演を聴くことにした。

 

感想もあるけど,話された内容を家族や友人にもシェアしたくて,メモしたので以下に記録。時間がないので推敲しないまま載せておく。

 

「沖縄のこどもたちとの交流からみえる,地域とこどもたちとの関係性

 

首里城の話。再建をどうしたらいいか

復元・・・前とおなじものをつくりたい,というおもいをもって30年,そのとたんに火災

宮沢さんの個人的な意見としては,今の技術で,復元ではなく再建するのがいいのでは。と考える

 

1989にデビューした

イギリス,アメリカのロックを目指していたけど・・・

山梨県甲府市のうまれそだち

日本にうまれたからこそはっしんできる 音楽があるのでは

彼らにはつくれない音楽をつくらないといけないんじゃないか。

 

山梨の民謡をほりおこすのはむつかしかった。

めをつけたのが沖縄だった

 

二ヶ月くらい地上戦がおこなわれた地

県民の1/4が亡くなった地

 

沖縄の人達は,敵の顔をみている。それが本土のひとびととの違い

・・・それほどの経験がありながら,残ってきている豊かな芸能になにかあるのではないか

やるべきおんがくがみつけられるのではないかと思った

 

沖縄の民謡がすきになった

さんしんの音色,リズム(はずむとも,はずまないともいえない),発声のしかた

くるちの森100ねんプロジェクト

 

戦争の傷跡は,28ねんくらい前にここにきたときに,思った以上に深いことをしった

自身の母方の祖父は,硫黄島で玉砕した。日本に骨が戻ってきて,母親は2さいのとき。山梨にもちかえったが,中には砂しかはいっていなかった

 

8/15になると,母親がそわそわしていた。

ぶつぶつ言っていた。日本の政府の判断がこういう結果を招いた,というようなことをいっていたようだった。

 

大人になり,沖縄にきて,それとおなじような気持ちが感じられた。そのときの政策,責任者へのいかり。

また,そういう大事なことをなんでもっとおしえてくれないんだろう?

そんなことをしらずにのうのうと生きてきた自分への怒り。

そこで「島唄」をつくった。資料館にいって,その当時の女学生(ひめゆり学徒隊)の話をきく。

そこで体験談を説明されていた(もう90さいくらいになると思われる)方から話をきいて,これまで知らなかったことを,はずかしい気持ちになった。->自分にできることは歌をつくってこのはなしをひろめること。

 

けれども,戦争のうたをそのままつくったのでは,煙たがられるだろう。

そこで,double meaningで,おもてむきは,幼いときに別れた恋人の歌にした。

 

でいごのはながさき かぜをよびあらしがきた

は,

でいごが多く咲いたから,アメリカ艦隊が上陸したのかもしれない。と発想した。

 

くりかえすかなしみは しまわたるなみのよう

は,

日本とアメリカ,両方から支配されてきた歴史

波のように続いていく

 

ウージの森で・・・

ウージはサトウキビ。せがたかいから子ども目線では森みたいなんだ

なぜここで自決しないといけないのか。

 

島唄,さきに天国に届いて,

よみたんさん?

 

このうたを作っているとき,どういても,沖縄音階がつけられなかった。

Bメロの部分は,日本の音階。さんしんもひかない。

なぜならば,この部分は,沖縄がはじめたものではないことの結果についてうたっているから

 

しまうたがヒットして

叱りの声もあった(島の人間ではないくせにと)

うたいつづけることにして,それをとおして理解してもらえるのではないかと。

30年たって,まだここに住んでるのか,と。まだこの歌を歌っているのか。と,いってもらえるようになった。

 

沖縄は貧困児童数が全国平均の2倍(年収300万円以下の家庭にいる子ども)

芸能のちからは,沖縄の特徴のひとつ

 

「くみおどり」を紹介したい。

1719年に琉球国ができたとき,それをみとめてくれた中国がお祝いにかけつけた

これを歓待するためにつくられたおどり

 

能,狂言,歌舞伎,中国の戯曲などを吸収してつくられた

せりふと音楽,所作,ストーリー,舞踊(西洋でいうとミュージカル)

「くみおどり(ウドゥリ)」が誕生して300年。首里城が完成して,ここで上演される予定であった,

 

現代版「くみおどり」というのもある。日本のむかしばなしをくみおどりの形式でやる

「きむたか(肝高)のあまわり(気高い,とのさまのはなし,わるものととらえられていたが,それは本当なのか?ということがテーマ)」

演じるのは,うるま市の中高生

子どもの無気力感,若者が他県にでていく,おとなとの交流が減っていく,これらの問題に対処するために,子ども達が出演する,現代のことばで,現代のダンスを存分にとりいれたもの

 

<映像:現代版組踊ダイジェスト>

平田大一

 

大一さんとは30年前からのつながり。

地域一帯となって現代版くみおどりをとおして,こどもたちは地域のルーツをしる

 

他の地域でも,それぞれの地域での,ルーツを探るような,こどもたちのための,すとーりーのほりおこしの動きがはじまっている。沖縄各地,大阪,鹿児島など。

 

伝えたいこと:

現代は,人生がたのしければいいという視野に狭まっているようなきがする

けれども・・・本来は過去と未来のはしわたしをする役割である

100年後を視野に入れて,自分はなにをするべきなのかと考えている。

自分の任期になにをするか。

琉球こくたんはもうとれない。->島唄がはやってから,輸入がはじまった(さんしんが,普及しはじめた?!)->材料がなくなったのは,じぶんのせいもあるのでは。

->こぐちのもり100年プロジェクトをはじめた。

毎月,草刈りをして,だいじに育てている。こどもたちにも,読谷に木を植えてるからたのむぞとつたえており,40にんくらいが草刈りを手伝ってくれたりする。

 

この木が100ねんごに楽器になるときは,自分達はだれも生きてない。だれの得にもならないのがいいところだと思っている。

本日の目標

ブログも随分書いてなかった。

なぜかTwitterやブログに書く意欲湧いて来た昨今。

 

今日は今日の論文作業の目標を書く。

 

ボスチェックが金曜。それまでに仕上げるもの

・第一稿

図,体裁含む。

・その計算過程をすっきりまとめたもの

 

「今日の目標,それらのゼロ稿仕上げる。」

 

それにはまず,避けてきた計算のほう,今朝はそこからはじめる。

夜はみなとやま行きたいと思ってたが水曜は定休日。

それならば,ナダオンにもういちど行きたい。

 

論文の筋は少しずつ磨かれてきた感がある。

ざらざらだった文章も逃げずにリサーチを重ねて推敲を重ねるとぴかぴかしてくる。

 

苛々,苛々。でも逃げたくない。やるしかない。

 

 

#解析日記01

今日から一ヶ月、論文書くためのメモとしてブログを活用する。

 

今日すること

・各変数の比例性を再確認

(stplot, by(変数))

結果→

・発見:#5はIQAだがafter1days5と非常に短い。他のIQA(afterは少なく、あってもdays長め)とは異質にみえる