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旅、ごはん、歌、臨床心理の勉強など興味のあることと、考えたことの記述

ダッコダッコ

ちょっと混雑気味の、休日快速電車で。

 

シートに座ってるママと、その膝の上に1歳半くらいの女の子。その前にお父さんが、海外旅行帰りっぽい大きなトランクと、荷物の詰まったショルダーバッグ、子供用のリュックなど全部支えながら、片手で吊革持って立っている。

 

結構疲れる状況だと思うんだけど、そこでママの膝に座ってた子が唐突に言う。

 

ダッコダッコ!

 

パパに手を伸ばしながら。

 

パパは、すぐに荷物をきちんと重ね直し、シートに座ってるママに支えやすいよう差し出すと、女の子を抱っこする!

 

ダッコダッコは、マンド(要求言語)。

それは穏やかな声で発せられ、すぐに強化された(要求していたものが与えられた=パパが抱っこしてくれた)。あの子は穏やかにまっすぐに自分の要求を伝える行動が増えるだろう。そして子の笑顔でパパの親切さも強化されていく。

 

幸福な関係だな。と、私は思った。けれど、この子みたいにちゃんとマンドを獲得したのに、大人になって自分の要求がストレートには全く言えなくなってる人も沢山いると思うんだけど、あれはどんなことがあったらそうなるんだろうか。

 

ぼんやり考えていると目的地についていた。

 

優柔不断

 

些細なことからちょっと大きなことまで、決断にはけっこう苦労する。

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いやー、ドラえもんがいるといいんだけどなあ。3階の押し入れで寝ててくれないかなあ。

まあドラえもんは今の所いないので「優柔不断をやめる方法」を調べることにした。

 

1.完璧主義をやめる。

今の仕事始めた頃、あなたパーフェクショニストやねと言われて「いや、それはない」って言い張ってた時期があった。けど今考えるとやっぱりそういう傾向があるから、なかなか人の提案にすんなり乗れなかったなあと思う。

また、満足度65%くらいの選択肢がいくつかあるとして、みんなはその中で選んでるのに私はどっちも選びたくない、ということもある。「他の選択肢ないかな?もっといけば100に近いやつ出るかも」って思ってしまい、すぐに決められへん。他にない?もっとすっきりする答え、あるんじゃない?って意見募集してしまう。

 

2.考えがまとまらないときは書き出す。

書き出すと仕事がはかどる。決断もしやすくなる。原始的だけど良いですねえ。文房具の中でも、ホワイトボードと紙(ペンも要るか)は必須ですね。

 

3.デッドラインを決める。

これも大事なんだなあ。本当にやばい最終締切が来たら、決められますもんね。強制スクロールの面でマリオが空から落っこちて死ぬくらいなら下手でもいいから進む、跳ぶボタン押す、っていうのと一緒で。

期限が来るまでに3周くらいあーでもない、こーでもないと考え尽くしてたら、決めた後に悔いが残ることは少ないですが、そういうことしてるとバタバタするし、他者に迷惑かけてしまうこともあるので、ある程度余裕を持ってデッドラインを設けるべきなんですね。本当は。

けど早く決めすぎると、そそっかしいのでキャンセルしないといけなくなることもあれば、後悔することもあるから、先延ばしにしてしまうんだよね。少しは人に迷惑かけても仕方ないし、キャンセルしてもいいから、とにかく決めて、選択肢があったこと自体を忘れて4に行くのが良い。

 

4.自分の選んだことに前向きな態度で臨む。

正しい決断はなく、正しい態度があるだけだ。

っていつも思えたら良いんだけど。

ルース・チャン: 難しい選択の仕方 | TED Talk | TED.com

 

選択肢は、多くあっても一長一短っていうことが多い。

 

 

今日も自転車用の水筒を選ぶとき、10種類くらいあったけど、一目見てこれがいい!っていうのはなかった。そこで、あえて15秒くらいで選ぶという、時間の短縮にトライしてみた。どれでもまあ、壊れにくくて自転車に装着できて、水を飲めたらいいんだから。

 

だいたい、理想の選択肢が存在しない状況のほうがふつうなんだよね。トキメキ度95%以上じゃないと動かない、決断できない、って効率が悪いよね。もう店に来てるんだから買おうよ。と思って買った。

 

・・・で、ここまでは決断することが良いこと、という前提で書いてみたけど、これまでに、逆に先延ばし気質だったからこそ良い結論が出たことも、いくつかあったなと思い出す。

 

例えば、家探し。これじゃない、というものを沢山見て、もう合うものはないだろうとあきらめ半分で探していた。探そうと決めてから数年間。住みたい場所や条件に見合うお金がないので、あんまり候補が出てこなかったのも時間がかかった理由の1つだけど。気に入らないものを却下していく作業のなかで、何が譲れることで、何が譲れないか、ということが、どんどんはっきりしてきた。

 

「これだ」というものとの出会いは突然だったけど、そのときは即決できた。あとで後悔もしなかったなあ。

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なので、、、決断を先に延ばすときは、延ばす価値があるのかどうか考えてから。先延ばしにしても大差ないことは早く決めること。捨てて良いリスクの多寡を決めておけばいいのかな。

 

そういえば、ある親御さんの、子どもに関する悩みで、この子は「 I don't know 」ばっかり言う。コンビニで買うおやつも決められない。

 

っていうのがあったなあ。「決断のスキルトレーニング」作ってもいいかもなあ。

人生最後の日にたべたいご飯

お題「人生最後の日に食べたいご飯を教えて下さい。」

朝ごはんを食べてそのあと午前中に死ぬのなら、やはり旅館の朝食。小さめの鰺の干物 と炊きたてのご飯、味噌汁、漬け物、卵、菜の花があれば。

 

旅館の朝食ということは、温泉に泊まったはずだ。そうすると前夜はやはり蟹です。焼き、ゆで、刺身、酢の物、天ぷら、鍋、蟹味噌。やはり明日死ぬなら、最初にグラス半分くらいヱビスビールかサッポロ黒ラベルなんか飲んでもいいですが、まあほとんどお酒は飲まずにご飯ですね。赤だしにも茶碗蒸しにも蟹が入っていてもういいよというくらい蟹を食べます。

 

でも、考えてみたら、私そこまで蟹が特別に好きな訳でもないと思うんだけど。いい想い出になる感じがするんですね。明日死ぬとしても、その意識がなくなるまでの。

 

その蟹ディナーの前のお昼ご飯は、おむすび作って山の方に歩くのが良いですね。米は炊きたてで熱いうちに、具は、家で焼いた、新潟から取り寄せた鱒をほぐしたもの。別に「うすいえんどう」と昆布と塩で炊いたごはんもおむすびにして、焼き海苔を巻く。それから、卵焼きですね。母が焼いてくれていたような味のものが作れたらいいんですが。あと、塩辛い梅干し、ほうじ茶。

 

では、その前の朝ごはんはどうするか。スコーン食べに行くのも良いですね。美味しいんだけど、やっぱりどうも、歯がにちゃにちゃするねえ。なんて口に出さずに思いながら、紅茶の苦さと良い匂い、ミルクの甘みを感じたいですね。スコーン店までの道のりには、桜が咲いていてほしい。

 

更にその前の日の晩ごはんは、牡蠣やね。

赤穂に行ってようさんこうてきてもらう。剥いたやつが無造作に入ってる袋、ざるにあけて、すんごい量やね、と言いながらワインでさっと蒸してオイルパスタを作る。まあ、この日はワインを飲んでも良いですね。アーモンドみたいな香りがする冷えた白ワイン。でも酔っ払わないように1杯半くらい。もうすぐ死ぬなら、もう酔っ払うのはもったいない。

 

その前の昼は、名古屋駅味噌煮込みうどんを食べたいけど、まあ、京都で親子丼でもいいかな。京都に行くならその朝は、イノダコーヒに行かなくちゃ、を歌いながらイノダコーヒに行って、あのハムのブレックファスト食べてから散歩。ぶらぶら、ぶらぶら南禅寺やら、祇王寺やら、いちにちじゅう苔を見て歩く。高島屋で買い物をして好きな服を着る。

 

更にその前の日は四国に渡り、「天銀」で父にお礼の挨拶をしよう。その前に朝はなかむらうどんのかま玉、昼はおか泉のひや天おろしを食べた方が良いだろうな。そうするとその前日には、自転車でシマナミカイドウを渡る前に、あの、坂の多いまちで、魚のだしの尾道ラーメン。

 

こういう調子でいくのなら、死ぬ3年前くらいには、旅を開始しないといけないけれど。その旅の道道で、すきな小説を読んだり、ウクレレの練習をしながら足湯に浸かったり、海辺の美術館に立ち寄ったりできたら良いですね。 

 

予想外のワイン

近所に酒屋さんがやっているワインバーがある。

 

店構えは小学校の近くにある文具やのような素っ気ない佇まいだし、けっこう駅からも遠いし、住宅街にポツンとあるのに、いつも遅くまで賑わっている。

 

ある日入ってみて、グラスワイン飲んだらあまりにも美味しいのでまた行きたいなあと思っていた。

 

昨日久しぶりに、ロシクンとやってるブッククラブ(週末の内向的同士の飲み会)で行って、三種類の白グラスワインを飲みながらスクリーンに映ってる映画(ユーガッタメール)をぼんやり観ていたら、バーテンさん経由で斜向かいに座っている方から、せっかくだからちょっと匂いを嗅いでみるのはどうかということで赤ワインを頂いた。

 

それはぶどうの酸味とか渋みみたいな、思ってた赤ワインの感じと大幅に違っていて、樽とかシナモンのような香辛料というか木を感じさせるような、癖のある食べ物のおいしいところを食べているときの感じがした。

 

バーテンさんは、こういうのは隠微と表現するのがぴったりだと言っていた。人の脇の下の匂いが好きだったりすることあるでしょうと。

 

ワインに隠微とはなんちゅう表現とも思ったがなんとなくわかる気もする。チーズでゆうたらブルーチーズとかパテとか白子とかチョコレートとか雲丹とか蟹味噌とか、くさいという人もいるが美味しいやつ、あるよね。ああいう癖ほど強烈な感じではないけど、近づかないと気付かないような、こもってる感じの強い個性がありました。

 

人でも、遠目には目立たないけど、油断して近づくと魅力が強くて離れがたい人というのがいますよね。

 

まあ、その隠微な魅力を持ったワインは

 

シャンボールミュジニー ド メーヌ トプノメルム 2004年

 

という名前でした(しらんけど。。。)。

 

そのあと斜向かいのお客のうちひとり(バーテンさんまでが、そのひとをワインの先生と呼んでた)とバーテンダーさんが「ブラインドで」って奥に引っ込んで赤ワインを6つのグラスに注いで持ってこられた。

 

どこの?いつごろの?なにぶどうの?なにワインなのか?

 

グラスを回しまくりながら、ニヤニヤしながら意見を言い合う。神々の遊びに巻き込まれたかたちで私とロシクンも飲んだ。私たちはど素人なので「ワイン当てクイズ」にはとても口をはさめないはずが、ロシクンは「赤ですよね?!」と、見たら分かるその色を、勘で言ったかのように発言した(心臓が強い)。

 

そのワインも美味しかったけど、特に隠微でない味だった。

私は隠微だった方が美味しかったと思う。

 

 

 

おしえ

2011年購入のMacBookAir11インチが不思議な誤作動をするようになったため、買い換えを考えている。

 

ソフマップapple売り場に行くとどんな質問にも瞬時に答えてくれる人がいて、よく分かってなかったことを色々と教えてもらった。

 

MacBookAir13インチ一択と思っていたが、ついでに見せてもらったMacBookProが意外と薄いし画面綺麗だし、タッチバー面白い。スペースグレーも石みたいで良いな〜、そういえばなんかAirのアルミの色ってちょっと飽きた感じ・・・。更に、Airはもう11は廃盤だし、この13インチも2年前に出たきり、もう次は出ないかもしれないなんていうとじゃあ修理のことはどうなるのかなとか、だいたいAirの13インチってデザインに余白が多いなーと思ったりして、迷い始めたので、いったん帰る。

これまでは重さ、価格、メモリとストレージくらいしか比較してなかったけど、家でネットで調べてみると、みなさん本当に色々なことを気にして選んでいることが分かった。なんとアップルマークが光らない光る、ロゴがどこについてる、みたいな見た目を気にしてる人もけっこういるんですね。りんごが光ってるって初めて知った。あと充電の差し込み口がマグネットかそうじゃないかとか、キーボードの打感、音、USBポートの型、個数、位置、各種アクセサリーも正規品とそれ以外のものがたくさん。

 

ともかくProの新しいのには心惹かれたが、いまのところすごく評判が良いわけではなさそう。半年待てるなら、もうちょっとProの改良を待って買いたいところだが、今欲しいわけだし。

 

更に買い方も、アップルストアでカスタマイズ、価格.comで最安値、家電ショップでポイントのパーセンテージ比較、認定制備品、あるいはAmazonで道具を購入し、この11インチのねじをいったん締め直し、掃除してみてから・・・とか、調べれば調べるほど収束せず、買い替え検討開始から3日後、選択肢は増えるばかりであった。

 

私の脳内メモリがMacBook各種比較検討に埋め尽くされていた。そろそろ決めなくては、時間の無駄だ。そこで、

 

えーと、そもそも必要なものは、何だったか。

 

と自分に問いかけたところ、ふと幼稚園の頃のおべんとうの記憶が出てきた。

 

非常に唐突だがその記憶を辿る。

 

4才のころ私の通っていた園のお昼ごはんは、主食だけを持参するシステムだった。小さい弁当箱にご飯のみを入れて行くことに決まっていた。

 

しかしある朝、母は炊飯器にごはんがないことに気付き「mちゃん今日おべんとうのごはんなくなっちゃった。タカヤさんのおばちゃんにもらえるか、きいてみようか」と言った。母は隣家の優しいタカヤさんのおばちゃんに電話をかけ、ごはんの段取りをつけると「今からmが行きます」と言った。

 

私はからのお弁当箱を持って隣家にご飯をもらいにいくという非日常感のあるミッションに興奮していた。何を話したか憶えていないが、おばちゃんはげらげら笑いながらお弁当箱にごはんをつめてくれた。幸せな社交の時間であった。子どものいないタカヤさんのうちは大人仕様で、ちびの私からはおばちゃんがつめている弁当の内容は見えなかった。

 

帰って母に見せると母は「あら、これはいかんなぁ」と言う。何がいかんのですか!と思ったものだが、タカヤさんのおばちゃんは白ご飯の上に、ゆでたまごの黄身をうらごししたものやピンク色のでんぶという甘美味しい食品や、菜の花みたいなゆで野菜までカラフルにもりつけてくれていたのだった。それはいつもの素っ気ない白飯とは別格の気品ある弁当となっていて、私はとても気にいった。これごはんじゃなくて、絵みたいやんか。

 

しかし幼稚園のルールで「ごはんは白のみ。何かのせるのは、いたみやすいので禁止」ということになっていたため、母はとにかく「これは、きれいやけど、いかんのやで」ともういちど私を諭し、飾りをすべて小皿にあけてしまった。

 

「そう、いかんのですね・・・」がっかりするようで、そういうものかと納得するようで、けどまあ、どちらでもいいや、というような感じがあった。その頃の私は「素直・あまりよくわかってない・数歩歩くとすぐに忘れる」という、にわとりのような頭脳を持っていた。

 

それだけの記憶である。

 

さて、なぜ「MacBookAir不具合&次何買う問題」でこんな昔の弁当のことを思いだしたのだろうか。

 

えーと、「白ご飯を調達すればよいのだ、桃色でんぶに惑わされずに」という母の決然とした感じを参考にすればいいのか。これ参考になるか?

 

しかし意外なことに、この記憶にアクセスしたことで、3日悩んだ機種と購買手段選択にすっきり答えが出せた。

 

記憶の抽出しがあくときは、いっけん脈絡がないようでいて、わりに自分の考えの本質を浮き上がらせてくれる。

 

今回は起きてるときに出てきた記憶だけど、寝てるときに見る夢も似ている。この哲学者みたいな抽出し現象、もっと頼りにしたいけど、どうやったらもっと素早く適切なメタファー的記憶にアクセスできるようになるのだろうか。

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日付

仕事で、子どもに個別指導をすることがある。

ワークの添削をしたあとなんかには、日付を書き込みたくなる。

 

わたしはだいたいその日が何日かをきちんと覚えてないので、

その場で子どもに「今日、なんにちかな?」とたずねる。

で、その子が答える日付を書き込むんだけど、ある日6さいの女の子が

「あのね。3がつ、32にち。」

 

と、大人っぽく自信ありげに答えた。

 

「わたし日付はきちんと知らんけど、さすがにそれはないで」

とは思ったが、こちらがたずねたわけだし、あまりにも自信ありげだったので

「そうか、ありがとう」と答えて

 

3/32

 

と書き込んでみた。

 

やはり、日付としては、32は違和感があったが、

面白かった。

 

(画像:そういえばこういうのあったな、と思いだしたケストナー作品)

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