春陽
http://www.thepicta.com/place/%E5%85%83%E7%94%BA%E6%98%A5%E9%99%BD%E8%BB%92/271539714
閉店していたことを知らずに、ときどき歩いて行っては
あれ、今日もお休みかー、と言ってたんだけど、
昨日行ったら看板も外されていた。
去年の10月からかー。知らなかったなあ。
それにしても、愛されてたんだなあ。
そりゃそうだよなあ。
何食べても美味しいし、
おじちゃんもおばちゃんも素敵だったもの。
おふたりお元気で旅行なんかされてると良いなと思う。
尾瀬
尾瀬に行ってきました。東京ー上毛高原ー戸倉ー鳩待峠ー山の鼻(新幹線、路線バス、乗り合いタクシー&徒歩)・・・1日目は移動だけで夕方。5月下旬なのに雪だらけで驚いた。
雪と泥とまっすぐな道と高い空、冷たくて清んだ空気、雪解けの水音、鳥(うぐいす、かっこう、ひばりの3つは分かったんだけど、ほかにもいた)の歌声、水にあたる光の美しさ、天気と時間の変化で移り変わる景色にまったく疲れを感じず歩きに歩いた。ああ、もっと歩きたい、もっともっともっと歩きたい。休憩要らん、時計も要らん、どんどんスピードは上がり、疲れない。完全にウォーキング・ハイ。
尾瀬の空・霧・野・小径・水芭蕉もぜんぶ初めて見た。「夏の想い出」は昔から大好きでよく歌ってたけど、この景色を知らずに歌ってたなんて!
いちどあのふもとの村に住み、春~夏~秋の尾瀬の風景変化を確認すべく、日々歩き回る生活がしたい。
国立公園内ではせっけんも歯磨き粉も使えないし、トイレに入るにはいちいち100円かかるし、インターネットもない。暇になると話をするか、歩くか、歌うか、本を読むしかないし、寒ければお湯かお布団に入るしかない。
そうやって日常から断絶してくれるのも良かった。
また行きたいなぁ。
ダッコダッコ
ちょっと混雑気味の、休日快速電車で。
シートに座ってるママと、その膝の上に1歳半くらいの女の子。その前にお父さんが、海外旅行帰りっぽい大きなトランクと、荷物の詰まったショルダーバッグ、子供用のリュックなど全部支えながら、片手で吊革持って立っている。
結構疲れる状況だと思うんだけど、そこでママの膝に座ってた子が唐突に言う。
ダッコダッコ!
パパに手を伸ばしながら。
パパは、すぐに荷物をきちんと重ね直し、シートに座ってるママに支えやすいよう差し出すと、女の子を抱っこする!
ダッコダッコは、マンド(要求言語)。
それは穏やかな声で発せられ、すぐに強化された(要求していたものが与えられた=パパが抱っこしてくれた)。あの子は穏やかにまっすぐに自分の要求を伝える行動が増えるだろう。そして子の笑顔でパパの親切さも強化されていく。
幸福な関係だな。と、私は思った。けれど、この子みたいにちゃんとマンドを獲得したのに、大人になって自分の要求がストレートには全く言えなくなってる人も沢山いると思うんだけど、あれはどんなことがあったらそうなるんだろうか。
ぼんやり考えていると目的地についていた。
優柔不断
些細なことからちょっと大きなことまで、決断にはけっこう苦労する。
いやー、ドラえもんがいるといいんだけどなあ。3階の押し入れで寝ててくれないかなあ。
まあドラえもんは今の所いないので「優柔不断をやめる方法」を調べることにした。
1.完璧主義をやめる。
今の仕事始めた頃、あなたパーフェクショニストやねと言われて「いや、それはない」って言い張ってた時期があった。けど今考えるとやっぱりそういう傾向があるから、なかなか人の提案にすんなり乗れなかったなあと思う。
また、満足度65%くらいの選択肢がいくつかあるとして、みんなはその中で選んでるのに私はどっちも選びたくない、ということもある。「他の選択肢ないかな?もっといけば100に近いやつ出るかも」って思ってしまい、すぐに決められへん。他にない?もっとすっきりする答え、あるんじゃない?って意見募集してしまう。
2.考えがまとまらないときは書き出す。
書き出すと仕事がはかどる。決断もしやすくなる。原始的だけど良いですねえ。文房具の中でも、ホワイトボードと紙(ペンも要るか)は必須ですね。
3.デッドラインを決める。
これも大事なんだなあ。本当にやばい最終締切が来たら、決められますもんね。強制スクロールの面でマリオが空から落っこちて死ぬくらいなら下手でもいいから進む、跳ぶボタン押す、っていうのと一緒で。
期限が来るまでに3周くらいあーでもない、こーでもないと考え尽くしてたら、決めた後に悔いが残ることは少ないですが、そういうことしてるとバタバタするし、他者に迷惑かけてしまうこともあるので、ある程度余裕を持ってデッドラインを設けるべきなんですね。本当は。
けど早く決めすぎると、そそっかしいのでキャンセルしないといけなくなることもあれば、後悔することもあるから、先延ばしにしてしまうんだよね。少しは人に迷惑かけても仕方ないし、キャンセルしてもいいから、とにかく決めて、選択肢があったこと自体を忘れて4に行くのが良い。
4.自分の選んだことに前向きな態度で臨む。
正しい決断はなく、正しい態度があるだけだ。
っていつも思えたら良いんだけど。
ルース・チャン: 難しい選択の仕方 | TED Talk | TED.com
選択肢は、多くあっても一長一短っていうことが多い。
今日も自転車用の水筒を選ぶとき、10種類くらいあったけど、一目見てこれがいい!っていうのはなかった。そこで、あえて15秒くらいで選ぶという、時間の短縮にトライしてみた。どれでもまあ、壊れにくくて自転車に装着できて、水を飲めたらいいんだから。
だいたい、理想の選択肢が存在しない状況のほうがふつうなんだよね。トキメキ度95%以上じゃないと動かない、決断できない、って効率が悪いよね。もう店に来てるんだから買おうよ。と思って買った。
・・・で、ここまでは決断することが良いこと、という前提で書いてみたけど、これまでに、逆に先延ばし気質だったからこそ良い結論が出たことも、いくつかあったなと思い出す。
例えば、家探し。これじゃない、というものを沢山見て、もう合うものはないだろうとあきらめ半分で探していた。探そうと決めてから数年間。住みたい場所や条件に見合うお金がないので、あんまり候補が出てこなかったのも時間がかかった理由の1つだけど。気に入らないものを却下していく作業のなかで、何が譲れることで、何が譲れないか、ということが、どんどんはっきりしてきた。
「これだ」というものとの出会いは突然だったけど、そのときは即決できた。あとで後悔もしなかったなあ。
なので、、、決断を先に延ばすときは、延ばす価値があるのかどうか考えてから。先延ばしにしても大差ないことは早く決めること。捨てて良いリスクの多寡を決めておけばいいのかな。
そういえば、ある親御さんの、子どもに関する悩みで、この子は「 I don't know 」ばっかり言う。コンビニで買うおやつも決められない。
っていうのがあったなあ。「決断のスキルトレーニング」作ってもいいかもなあ。
人生最後の日にたべたいご飯
朝ごはんを食べてそのあと午前中に死ぬのなら、やはり旅館の朝食。小さめの鰺の干物 と炊きたてのご飯、味噌汁、漬け物、卵、菜の花があれば。
旅館の朝食ということは、温泉に泊まったはずだ。そうすると前夜はやはり蟹です。焼き、ゆで、刺身、酢の物、天ぷら、鍋、蟹味噌。やはり明日死ぬなら、最初にグラス半分くらいヱビスビールかサッポロ黒ラベルなんか飲んでもいいですが、まあほとんどお酒は飲まずにご飯ですね。赤だしにも茶碗蒸しにも蟹が入っていてもういいよというくらい蟹を食べます。
でも、考えてみたら、私そこまで蟹が特別に好きな訳でもないと思うんだけど。いい想い出になる感じがするんですね。明日死ぬとしても、その意識がなくなるまでの。
その蟹ディナーの前のお昼ご飯は、おむすび作って山の方に歩くのが良いですね。米は炊きたてで熱いうちに、具は、家で焼いた、新潟から取り寄せた鱒をほぐしたもの。別に「うすいえんどう」と昆布と塩で炊いたごはんもおむすびにして、焼き海苔を巻く。それから、卵焼きですね。母が焼いてくれていたような味のものが作れたらいいんですが。あと、塩辛い梅干し、ほうじ茶。
では、その前の朝ごはんはどうするか。スコーン食べに行くのも良いですね。美味しいんだけど、やっぱりどうも、歯がにちゃにちゃするねえ。なんて口に出さずに思いながら、紅茶の苦さと良い匂い、ミルクの甘みを感じたいですね。スコーン店までの道のりには、桜が咲いていてほしい。
更にその前の日の晩ごはんは、牡蠣やね。
赤穂に行ってようさんこうてきてもらう。剥いたやつが無造作に入ってる袋、ざるにあけて、すんごい量やね、と言いながらワインでさっと蒸してオイルパスタを作る。まあ、この日はワインを飲んでも良いですね。アーモンドみたいな香りがする冷えた白ワイン。でも酔っ払わないように1杯半くらい。もうすぐ死ぬなら、もう酔っ払うのはもったいない。
その前の昼は、名古屋駅で味噌煮込みうどんを食べたいけど、まあ、京都で親子丼でもいいかな。京都に行くならその朝は、イノダコーヒに行かなくちゃ、を歌いながらイノダコーヒに行って、あのハムのブレックファスト食べてから散歩。ぶらぶら、ぶらぶら南禅寺やら、祇王寺やら、いちにちじゅう苔を見て歩く。高島屋で買い物をして好きな服を着る。
更にその前の日は四国に渡り、「天銀」で父にお礼の挨拶をしよう。その前に朝はなかむらうどんのかま玉、昼はおか泉のひや天おろしを食べた方が良いだろうな。そうするとその前日には、自転車でシマナミカイドウを渡る前に、あの、坂の多いまちで、魚のだしの尾道ラーメン。
こういう調子でいくのなら、死ぬ3年前くらいには、旅を開始しないといけないけれど。その旅の道道で、すきな小説を読んだり、ウクレレの練習をしながら足湯に浸かったり、海辺の美術館に立ち寄ったりできたら良いですね。
予想外のワイン
近所に酒屋さんがやっているワインバーがある。
店構えは小学校の近くにある文具やのような素っ気ない佇まいだし、けっこう駅からも遠いし、住宅街にポツンとあるのに、いつも遅くまで賑わっている。
ある日入ってみて、グラスワイン飲んだらあまりにも美味しいのでまた行きたいなあと思っていた。
昨日久しぶりに、ロシクンとやってるブッククラブ(週末の内向的同士の飲み会)で行って、三種類の白グラスワインを飲みながらスクリーンに映ってる映画(ユーガッタメール)をぼんやり観ていたら、バーテンさん経由で斜向かいに座っている方から、せっかくだからちょっと匂いを嗅いでみるのはどうかということで赤ワインを頂いた。
それはぶどうの酸味とか渋みみたいな、思ってた赤ワインの感じと大幅に違っていて、樽とかシナモンのような香辛料というか木を感じさせるような、癖のある食べ物のおいしいところを食べているときの感じがした。
バーテンさんは、こういうのは隠微と表現するのがぴったりだと言っていた。人の脇の下の匂いが好きだったりすることあるでしょうと。
ワインに隠微とはなんちゅう表現とも思ったがなんとなくわかる気もする。チーズでゆうたらブルーチーズとかパテとか白子とかチョコレートとか雲丹とか蟹味噌とか、くさいという人もいるが美味しいやつ、あるよね。ああいう癖ほど強烈な感じではないけど、近づかないと気付かないような、こもってる感じの強い個性がありました。
人でも、遠目には目立たないけど、油断して近づくと魅力が強くて離れがたい人というのがいますよね。
まあ、その隠微な魅力を持ったワインは
シャンボールミュジニー ド メーヌ トプノメルム 2004年
という名前でした(しらんけど。。。)。
そのあと斜向かいのお客のうちひとり(バーテンさんまでが、そのひとをワインの先生と呼んでた)とバーテンダーさんが「ブラインドで」って奥に引っ込んで赤ワインを6つのグラスに注いで持ってこられた。
どこの?いつごろの?なにぶどうの?なにワインなのか?
グラスを回しまくりながら、ニヤニヤしながら意見を言い合う。神々の遊びに巻き込まれたかたちで私とロシクンも飲んだ。私たちはど素人なので「ワイン当てクイズ」にはとても口をはさめないはずが、ロシクンは「赤ですよね?!」と、見たら分かるその色を、勘で言ったかのように発言した(心臓が強い)。
そのワインも美味しかったけど、特に隠微でない味だった。
私は隠微だった方が美味しかったと思う。