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あるある防衛機制:「反動形成」「打ち消し」つづき

 では「反動形成」が病的に出るとどんな感じだろうか。先日の勉強会で解釈が難しく感じられたのは、「反動形成」と「強迫性障害」の関連についてである。H23年の過去問で「反動形成とやり直し(undoing)は、どちらも脅迫行為と関連する防衛機制である」という一文があった。

 調べてみると、どうも強迫行為をはじめるきっかけが「反動形成」である場合がある、という意味のようである。潔癖を例に挙げると、「不潔」の反動で「潔癖」になる。そのようにして作り出された偽りの潔癖性から手洗いを始めると、必要以上に、無意味だと思っていてもやめられない「強迫行為」となって繰り返されてしまう。本当は絵本に出て来る「どろんここぶた」のように、不潔であることをよしとしてほしい、という気持ちがどこかにある人が、潔癖症になっていると考える、という話である。

「本当は不潔でありたい→しかし不潔は許されない→清潔を求めるしかない→手を洗おう→満たされない→充分に清潔ではないのだろう→手をもう一度、それから携帯も財布の中身も、買ってきたパンもパパもママも、全部洗わなければ・・・」という流れで「病的な潔癖」が形成される、と考えれば良いのだろうか(不安の維持に関しては、また別の説明が存在する)。

 まあ、つまりそういう意味で、そもそも「きれいになったかどうか」なんか問題にしていない洗浄行為。洗っても洗っても、本来の欲求である「不潔であることがよしとされる」が叶えられることはない。この「洗浄ループ」には、どんな働きかけが有効なのだろうか。何がもたらされれば、洗わずにすむようになるのだろう。

防衛機制はそういう視点で、わけのわからない状況にいるCLの必要を吟味するうえでの、ひとつの手がかりになる、ということなのだろう。

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( 画像:どろんここぶた)

 それと、ついでにもうひとつ出てきたundoing(やり直し)という防衛機制についても少しだけ調べてみた。教科書の一覧などには出てない場合もあるが「打ち消し・復元」とも呼ばれるものである。「相手を非難してしまったあとにほめたりおやつをあげたりして、機嫌をとる」「宗教的倫理に反することをしてしまったときに償いのように苦行を行う」などが例に挙がっており、機能は「自我にとって罪悪感や恥を与えるような行為や感情を打ち消す」と説明されている。これが度重なる施錠確認・意味不明の儀式的な行為などにつながるそうだ。

 防衛機制は、ひとつひとつ見ていくと面白くもあるけれど、自分も心当たりのあることが多く、ひやひやしてしまう。例えば「先生に怒られて、あとで変に優しく話しかけられる」・・・これ、もし自分がやられると「何かいやだな」と思うけど、私もうっかり似たようなことをしてしまうことがある。悪いことをしたと思ったらundoingではなく素直に「ごめんなさい」「さっきは言い過ぎた」と謝る方が、相手は気持ち良いだろう。行き着く先は無限ループのようだし・・・。無意識には抗えないところもあるのかもしれないが、できるだけ気をつけよう。

 それでは今日のあるある探検を終わります。

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