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旅、ごはん、歌、臨床心理の勉強など興味のあることと、考えたことの記述

桜と小さな箱の話:フォーカシング#01

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大阪で月に一度開催されている「サンガ」という集まりがある。池見先生のレクチャー後、テーマに基づき、参加者が近くの人とペアを組み、フォーカシングをする。参加費は500円とリーズナブル。時折行かせてもらっているが、けっこう面白い体験ができることが多い。

 

4月の回は池見先生が

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という本を上梓されたばかりとのことで、その中で取り上げられている「共感+crossing」と呼ばれる方法を試すことになった(本が手元になく、用語、定義など不確かなのですが)。

 

「共感+crossing」では、リスナーの理解・共感力が問われるとは思うけど、うまくいった場合は通常のやり方よりもフェルトシフトが鮮明に素早く起きる。ような感じがした。

 

私がフォーカサーになったセッションを思い出して書いてみる。

 

<まず気になることを伝える>

・最近、気になることは「桜」。昨日の朝、ジョギングのときに盛大に桜が咲いている道を発見した。印象が強く、夜にもう一度行った。桜は美しい。感嘆すると同時に、そわそわ落ち着かない気持ちにもさせられる。毎年のことだが今年は特にそわそわが強い。この気持ちは何だろうと思う。

 

・昨夜桜並木を歩いたとき思い起こされたのは、祖母のことだった。祖母は全盲であったが、景色や色などの視覚的な楽しみも、家族からの説明、直接触れるなど他の感覚を通して、積極的に体験していた。そして、主にそれを助けていたのは母だった。

 

・そんな祖母と母と、もう10年以上前に、近所の公園で桜を見たことを思い出した。私は長い枝をそっと動かし、祖母の頬に、咲いている桜が触れるようにした。祖母は独特の視線で空を見上げ、頬で花のかたまりにふれながら、歯をぐいっとむき出し、満面に笑っていた。

 

・昨夜それを思い起こしながら、私は目を閉じ、自分の頬に桜の花のかたまりをあてて、しばらくじっとしてみた。

 

・その祖母も母も、既に亡くなった。

 

それだけのことを駆け足で聞いてもらって、フォーカシングに入る。

 

<共感+crossing。>

 

私:祖母は、いつも私たち孫が訪ねて行ったときは、私たちの頬に両手で触れて「ああ、○○ちゃんやね、よく来たね」と言ってくれたのです。祖母は、目で見えないけれど、手で触れて、私たちの顔をみていたのです。昨夜、桜を見ているときに、そのことを思い出したのです。

 

L:そのことを考えると、どんな感じが。

 

私:今、そのことを考えると、むねのあたりに小さな箱があるようです。赤っぽく輝くような素材の、小さく細長い箱。ぴかぴかのきれいな箱、どこかおちつかず、小刻みに震えている。

 

L:その、箱が震えるって、どんな感じでしょうか?

 

私:箱は胸にあるのに自分のふくらはぎのあたりも外側から震えだすような、たいへん落ち着かない感じがします(“restless”という感じ)。その箱があること自体は、とても大切な思い出があるということ、だと思います。大切なのに、中を見ようとすると、中は小さくて暗くて、よく見えない。だから、私は落ち着かない気持ちになるんだと思います。大切なものなのに、よく見えないから。

 

L:きれいな箱で、あると嬉しいのに、落ち着かない感じになるんですね。そうですか。それは、もっとおばあさんにこんなこと、してあげたらよかったとか、そういう、後悔のような感じ?があるんでしょうか?

 

私:

・後悔……?(どうだろう?違うんじゃないか?と思う。しかしどうかな?と試してみる)…それは…(ああ、あるかも、と思った)。言ってみれば確かに、後悔と呼べるものは、あるかも。何かをしてあげたかったということではないのですが。

・箱の中がよく見えなくて。あんなに大切な時間があったのに、それが暖かい色をしていて、大切なものだと今なら分かるのに、なぜあのときはそれが分からなかったか…なぜ、もっとしっかりと見ていなかったのか、もっとちゃんと憶えていないのか。箱の中に、これが大切だから、ここに、こうしまっておく、というようにできていたら。そういう後悔のような気持ちは、あります。

・だから、私はもう、ここから先の人生では、同じようなことで後悔したくないと思うんだと思います。大切なものを、ちゃんと知っておいて、それをしっかりと見ていたい。

 

L:そうなんですね。過去への後悔というよりも、これからどう生きようという風に。

 

私:そうです…けど、箱の中がよく見えないのは落ち着かないし、いやだとも思っています。

 

L:そうですか…。あのう。その箱の中、よく見て、取り出そうとしたらですね?…もしかしたら、何か、取り出せるものも、入っているのじゃないかなと思ったんです(何か、大きいハンカチのようなものを取り出す仕草をされる)。

 

私:(何かが出てくるイメージが見えた)…ああ、確かに…。箱の中に、小さく小さくたたまれた、油紙のようなものが、ありました。取り出して、丁寧に開くと、小さな文字で、茶色いようなインクで何か大切なことが書かれているようです。すぐに読めるような文字ではない。けれど、どうにか方法を探せば、浮かび上がらせて読めそう。

 

L:そうですか。過去にも、箱の中には、ちゃんと何かしまうことはできていたのかもしれないですね。

 

私:本当ですね。よく見えなくなってるけど、それなりに私は、大切なことを大切に体験していたかもしれない。

 

ここまでで時間切れ、終了。リスナーに感謝を伝えた。

 

感想:リスナーが共感してくれていたことをしっかり感じられた。共感をベースとしているからこそcrossingでくれるアイデアを安心して受け取り、検討できるように思う。crossingでリスナーは、唯一の解答を言い当てる必要がなく、このような視点はどう?良かったら使ってみては。と、更なる気づきのための視点や道具を提案してくれているような感覚だったような。

 

このセッションがうまくいくために、リスナーに求められる態度というのは、誠実であること。のような気がする。そしてフォーカサーの態度は、素直であること。ではないだろうか。

 

このとき私は、あまり神経質に「相手が完全に自分を理解しているか」「私の感じをちゃんと言い当てたのか」など検証する構えが外れて、多少「どうかな?違うっぽいけど・・・」と思う言葉も、とりあえず試してみた。渡された道具(言葉)を使って、いまもっとよく知りたい「なにか」を、もう少しよく見る、しっかり触る、ようなことができた。

 

ひとりで考えるのではなく他者に俯瞰を助けてもらう、だが主体は自分にある、というカウンセリング技法。自己を見つめ、気づきを得るが、特定のカウンセラーに依存的になる心配が少ないところが、とても良い点なのではと思う。

 

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