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旅、ごはん、歌、臨床心理の勉強など興味のあることと、考えたことの記述

芸術の効能

I can't tell how many times music saved my life. 

 

ある年のクリスマス時期、突然大切な人を見送らなければならなくなった。その別れは多くの大切だったものとの強制的な訣別を含む種類のものだった。

 

当日に予定されていたコンサートは、申し訳なかったがキャンセルさせてもらった。葬儀でも歌ったが、喉がかれていた。ほんの数日眠らないでいるだけで、声は出なくなる。

 

翌日、点滴を打ち、薬を飲んでいちにちじゅう眠った。もう一つ予定していた、クリスマスイブのコンサートに出るためだった。次の日、声は戻り、ぶじに歌うことができた。

 

その後、あるきっかけで“Danny Boy”を歌ってみようと思った。楽譜を入手したが、歌おうとすると歌えなかった。私はこの歌を歌うと泣いてしまうんだ、と分かった。

 

“Danny Boy”は有名なアイルランド民謡だ。素朴で美しいメロディと言葉。特殊な琴線に触れる類いの歌である。「泣きそうになるようなメロディ」というのはときどきあるものだが、実際に泣いてどうにも歌えなくなるほどなんてことは、普通はない。

 

けどこの時は、この歌がふれる小さな琴線が、些細な揺れを感じただけでも誤作動して、それとつながりのある感情のバケツをひっくり返すようになっていたみたいだった。

 

同じような誤作動は、他のいくつかの音楽、映画や小説でもみられることが分かってきた。そして私はその誤作動を求め、いつもより熱心に読み、聴き、そのような感覚をゆさぶる作用のある作品を探し、体験するようになった。それは、普段の読書体験や音楽体験とは種類の異なるものだった。

 

村上春樹のエッセイ集「村上ラヂオ2」の終わりの方にこのようなことが書かれてある。

「音楽はその時たまたまそこにあった。僕はそれを無心に取り上げ、目に見えない衣として身にまとった。人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。

小説にもまた同じような機能がそなわっている。心の痛みや悲しみは個人的な、孤立したものではあるけれど、同時にまだもっと深いところで誰かと担いあえるものであり、共通の広い風景の中にそっと組み込んでいけるものなのだということを、それらは教えてくれる。」

 

私はそれ以前の人生においても、知らないうちに音楽や物語に助けられてきた体験があったのかもしれない。だから、ここで村上さんが書いているような、音楽や物語の実用の機能を、必要なときに無自覚に使うことができたのではないか。「芸術を通して "共通の広い風景"にアクセスしなさい。そこで休みなさい」と誰かから教わったわけでもないのに。私は、水際にあるよい水草を選んで食べて体調を整える鴨のように野性的だった。

 

 また落ち着いたら“Danny Boy”を歌ってみよう。涙が出そうになるようなメロディの美しさは変わらないけど、あの琴線からバケツへの特殊な誤作動ルートは、もう閉じたんじゃないかという気がする。