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メロンパンナちゃんに気付かされた「歌の記憶」の特殊さについて

面接で出会ったある幼児がアンパンマンの「サンサンたいそう」が好きとのことだったので、その動画をyoutubeでチェックし、曲をざっくり覚えた。

 

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面接は無事に終えたんだけど、数日後(今日)になってその歌が、頭の中で何度もまわる。それも

ロールパンナは、メロンパンナの、おねえ、ちゃ、ん〜♪」

というところばっかり。

 

何回か歌っていてこの歌詞は「ロールパンナは、メロンパンナのお姉ちゃんなんですよ」という兄弟関係を述べてるんだ。と、はじめて気付いた。

 

それまでは「ロールパンナワ、メロンパンナノ、オネエチャン」って言ってただけで、意味を伴ってなかったんですね。それが、やっとその瞬間、頭の中の蓄音機からの情報を情報として(だいぶ、くだらないことではありますが)受け取ることができたんです。

 

不思議なことですが、歌詞は内容を理解しなくても記憶できてしまうんですね。まるのみのように。で、蓄音機のように再生してるうちに、「リスナー」としての自分を起動する余裕ができてくるんでしょうか。ふとした瞬間、再生中の文の意味を理解するときが来る。

 

これ視覚でいうと、写真的な記憶と似ているのかな。あの、神経衰弱してるときなんか、全貌をパシャっとカメラで撮ったみたいに記憶できる人は、どこに何があるか「ここが1,ここが4」みたいにリハーサルを繰り返して憶えてるわけじゃないんですよね。頭の中の写真に戻って、どこに何があるか、見てるだけだという。それの聴覚刺激バージョン。

 

以前読んだ論文で

「同一の言語情報を持つ歌声と話声を聴いた際のヒトの脳活動部位は異なる。歌を聴いた際の方が脳の活動は広範囲にわたり、前頭葉の最も後方に位置する、身体運動に関連した部位(とりわけ口や下を動かす部位)に活動がみられる。対して、話声を聴いたときに活動する脳部位は側頭葉にある言語理解の依存する部位が活動する」

というのがあった。

 

言葉は、歌にすると、理解せずとも引き出しに入れちゃうことができるんですね。引っ越してから開けてない段ボール箱みたいに、歌ってみるまで情報は吟味しないんですが、歌ってみたらちゃんと中身が詰まっている。

 

幼い頃に憶えた歌なんかは、今歌ってみて歌詞の意味を理解したところで、がらくただらけのおもちゃ箱みたいなものだけれど、それでも何か懐かしいものが入っているというのは、嬉しいことだ。