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旅、ごはん、歌、臨床心理の勉強など興味のあることと、考えたことの記述

児童青年精神医学学会でBOOMのミヤさんが話した話

勉強のために行った学会で,中学・高校の頃大好きだったロックバンドThe BOOMの宮沢さんの講演があった。びっくりしたけど嬉しくなってその講演を聴くことにした。

 

感想もあるけど,話された内容を家族や友人にもシェアしたくて,メモしたので以下に記録。時間がないので推敲しないまま載せておく。

 

「沖縄のこどもたちとの交流からみえる,地域とこどもたちとの関係性

 

首里城の話。再建をどうしたらいいか

復元・・・前とおなじものをつくりたい,というおもいをもって30年,そのとたんに火災

宮沢さんの個人的な意見としては,今の技術で,復元ではなく再建するのがいいのでは。と考える

 

1989にデビューした

イギリス,アメリカのロックを目指していたけど・・・

山梨県甲府市のうまれそだち

日本にうまれたからこそはっしんできる 音楽があるのでは

彼らにはつくれない音楽をつくらないといけないんじゃないか。

 

山梨の民謡をほりおこすのはむつかしかった。

めをつけたのが沖縄だった

 

二ヶ月くらい地上戦がおこなわれた地

県民の1/4が亡くなった地

 

沖縄の人達は,敵の顔をみている。それが本土のひとびととの違い

・・・それほどの経験がありながら,残ってきている豊かな芸能になにかあるのではないか

やるべきおんがくがみつけられるのではないかと思った

 

沖縄の民謡がすきになった

さんしんの音色,リズム(はずむとも,はずまないともいえない),発声のしかた

くるちの森100ねんプロジェクト

 

戦争の傷跡は,28ねんくらい前にここにきたときに,思った以上に深いことをしった

自身の母方の祖父は,硫黄島で玉砕した。日本に骨が戻ってきて,母親は2さいのとき。山梨にもちかえったが,中には砂しかはいっていなかった

 

8/15になると,母親がそわそわしていた。

ぶつぶつ言っていた。日本の政府の判断がこういう結果を招いた,というようなことをいっていたようだった。

 

大人になり,沖縄にきて,それとおなじような気持ちが感じられた。そのときの政策,責任者へのいかり。

また,そういう大事なことをなんでもっとおしえてくれないんだろう?

そんなことをしらずにのうのうと生きてきた自分への怒り。

そこで「島唄」をつくった。資料館にいって,その当時の女学生(ひめゆり学徒隊)の話をきく。

そこで体験談を説明されていた(もう90さいくらいになると思われる)方から話をきいて,これまで知らなかったことを,はずかしい気持ちになった。->自分にできることは歌をつくってこのはなしをひろめること。

 

けれども,戦争のうたをそのままつくったのでは,煙たがられるだろう。

そこで,double meaningで,おもてむきは,幼いときに別れた恋人の歌にした。

 

でいごのはながさき かぜをよびあらしがきた

は,

でいごが多く咲いたから,アメリカ艦隊が上陸したのかもしれない。と発想した。

 

くりかえすかなしみは しまわたるなみのよう

は,

日本とアメリカ,両方から支配されてきた歴史

波のように続いていく

 

ウージの森で・・・

ウージはサトウキビ。せがたかいから子ども目線では森みたいなんだ

なぜここで自決しないといけないのか。

 

島唄,さきに天国に届いて,

よみたんさん?

 

このうたを作っているとき,どういても,沖縄音階がつけられなかった。

Bメロの部分は,日本の音階。さんしんもひかない。

なぜならば,この部分は,沖縄がはじめたものではないことの結果についてうたっているから

 

しまうたがヒットして

叱りの声もあった(島の人間ではないくせにと)

うたいつづけることにして,それをとおして理解してもらえるのではないかと。

30年たって,まだここに住んでるのか,と。まだこの歌を歌っているのか。と,いってもらえるようになった。

 

沖縄は貧困児童数が全国平均の2倍(年収300万円以下の家庭にいる子ども)

芸能のちからは,沖縄の特徴のひとつ

 

「くみおどり」を紹介したい。

1719年に琉球国ができたとき,それをみとめてくれた中国がお祝いにかけつけた

これを歓待するためにつくられたおどり

 

能,狂言,歌舞伎,中国の戯曲などを吸収してつくられた

せりふと音楽,所作,ストーリー,舞踊(西洋でいうとミュージカル)

「くみおどり(ウドゥリ)」が誕生して300年。首里城が完成して,ここで上演される予定であった,

 

現代版「くみおどり」というのもある。日本のむかしばなしをくみおどりの形式でやる

「きむたか(肝高)のあまわり(気高い,とのさまのはなし,わるものととらえられていたが,それは本当なのか?ということがテーマ)」

演じるのは,うるま市の中高生

子どもの無気力感,若者が他県にでていく,おとなとの交流が減っていく,これらの問題に対処するために,子ども達が出演する,現代のことばで,現代のダンスを存分にとりいれたもの

 

<映像:現代版組踊ダイジェスト>

平田大一

 

大一さんとは30年前からのつながり。

地域一帯となって現代版くみおどりをとおして,こどもたちは地域のルーツをしる

 

他の地域でも,それぞれの地域での,ルーツを探るような,こどもたちのための,すとーりーのほりおこしの動きがはじまっている。沖縄各地,大阪,鹿児島など。

 

伝えたいこと:

現代は,人生がたのしければいいという視野に狭まっているようなきがする

けれども・・・本来は過去と未来のはしわたしをする役割である

100年後を視野に入れて,自分はなにをするべきなのかと考えている。

自分の任期になにをするか。

琉球こくたんはもうとれない。->島唄がはやってから,輸入がはじまった(さんしんが,普及しはじめた?!)->材料がなくなったのは,じぶんのせいもあるのでは。

->こぐちのもり100年プロジェクトをはじめた。

毎月,草刈りをして,だいじに育てている。こどもたちにも,読谷に木を植えてるからたのむぞとつたえており,40にんくらいが草刈りを手伝ってくれたりする。

 

この木が100ねんごに楽器になるときは,自分達はだれも生きてない。だれの得にもならないのがいいところだと思っている。