The Red Turtle
子どもの頃、絵本の中の、ある1枚の絵をずっと眺めているのが好きだったような人がいたら、ちょっと観てみてほしい映画です。
映画を観終わって、私が考えたこと。
人生が主体的に回り始めるのは、誰かのために生きるようになってからなのかもしれないということ。
また、どこに行くとしても、他者と比べてどれほど豊かな暮らしをしていようとも、環境に対し人間は不自由で受動的なものであることと、同時に精神の面においては自由であるということ。
また、出会いというのも、ぴかぴか光る竹の中から赤ん坊を見つけるのと同じように、探すものでも選ぶものでもなく、雨が降ってくるように、受け取るものであるということ。
女というのは、強くて、弱くて、無防備であり、それ自体が生きる意味を求めるものではなく、生きる意味を与えるものであるということ。そして、生きる意味というのは、本当に、本来生きるための活動、「生活」であるのではないかということ。
かぐや姫ではなくThe Red Turtleの話なんですが、そのものについて書くと、言い過ぎになるので、観たい人がみんな見終わった頃に、思っていることがあればまた具体的に書きたいです。
これは、優れた物語。「普遍的な無意識」と「個人的な無意識」の両方に話しかけてくる。ああ、やはり必要なのは、物語よ。物語なのよ。と思う。
ちょっと、近いうちに、もう一度観たい。