趣味
ある日、担当の子が、ゲラゲラ笑いながら話し出した。新しいゴーストバスターズの話。
子“Then... the ghost...... (思い出し、ひとりでウケて話せない) ...ge bo ha i ta...(ここだけ日本語)”で、爆笑。
私:“Oh, it vomited?”と一応英語で返すと
子:“Yeah, it vo...mited... ウフ、ウフ、ウフ”ってまだわろてる。おもろいんですね。作文にもこの映画について書いてたし、ともかくすんごく面白かったみたいなので、私も観に行くことにした。
楽しめるだろうか?と一抹の不安があったんだけど、変な博士(ビル•マーレイ)が吹っ飛ぶシーンで、私も笑いが止まらんようになった。
あと、びびりなので、3Dでもないのに身をすくめたり、よけたり、頭を抱えたり、また突然ゲラゲラ笑ったりして、アトラクションみたいに楽しんだ。
これまでにも色んな生徒さんのお気に入り(アニメスパイダーマン、スポンジボブ、テレタビーズなど)には目を通してきたが・・・だいたいはこんなんが面白いん?!と思ったり、眠くなったり、早送りしたくなったり、したものだ。
このたび、ジョークの趣味が合うようで、嬉しい限りである。
Lunch in Helsinki
ヨーテボリからの帰り、やけにトランジットが長いので、ヘルシンキの空港でいったん出て泊まった。どんな予約したか忘れてて、ホテルじゃなかったからビックリした。
他の部屋はみんな表札出てて、普通に住んでるアパートメント。ここがリビングで、あとキッチンとダイニング、ベッドルームと広い洗面所、サウナがあった。
熱した石に木桶で汲んだ水、木の柄杓で水かける式。スチームって気持ちいい。これあったら、風邪ひいてても治るやろな。上手に管理できひんやろけど、家に欲しいなあ。
翌朝、街に出て夕方のフライトまで遊ぶ。
蚤の市。日曜午前しかやってないという広場に遭遇できて幸運でした。
腕まくりして、俊敏に快活に、効率的に満遍なくすべての店舗を巡る。ガラクタの中から欲しい物を見つける。日頃の断捨離精神を忘れ、蚤の市を見るために生まれてきたような顔をして。
おばちゃん店主が、日本人、好きでしょ知ってるのよ、と言わんばかりにマリメッコあるよあるよとすすめてくる。おばちゃんに言われなくても、視力と弁別力のよい私は8メートル先からマリメッコある店は分かっている。けど、マリメッコの古物って興味ない。
今回、気に入ったのはイッタラ社の天使の置物。
私、見つけるのは得意なんだけど、値段交渉はそんな上手くないので、びびりながら交渉。あとは1ユーロのムーミン皿とかミルクピッチャーとか、5ユーロのワンピースとか。
寒くなってお腹も空いたので、 ちょっと歩く。
数年前は1人でヘルシンキ来て、この海の向こうのスオメリンナ要塞に渡った。最果て感ありすぎて怖かったけど、一応大砲眺めたり、丘に登ったり、ウロウロしたな。
けど、この日は蚤の市堪能しすぎて、船に乗る時間はなかった。
旅行客でわいわい賑わう港でランチ。少し寒い外で食べるソルティーでオイリーな魚、最高でした。
とにかく便利なホワイトボード
ホワイトボードは私の仕事に欠かせない道具。どんな風に使ってるか、少し書いてみます。
フォニックス。スペリングを教えるのでなく、スペリングチェックの技術を身につけられるよう助ける。困った時に即座に書けるハンディさと、間違えてもすぐに消してやり直せるストレスの少なさが、ホワイトボードのいいところ。消しゴムで消すのもイーッてなる原因になるからね。
作文も、まずは内容をパラグラフごとにまとめ、全体像を把握できるようスキャフォルディング(骨組み作り)の方法を教える。今日うまい作文ができなくていいから、5年後に自分で書けるように。
本人に考えてもらうABCチャート。これは私の発明だと思ってるんだけど、似たようなことは認知行動療法とかでやってるんだろうか。
表出言語を鍛えるには、まず、場面と困り事を聞き取り、誰に話せばいい?何て言ったらいい?まずは準備、それから練習、で、本当に言いに行ってみる。言葉に詰まっても口頭で教えるのでなく、視覚的プロンプトにすれば、自分でできた感が増す。援助ありでも言えたらもちろん強化。ご協力してくれる先生方にも感謝を伝えて強化します。
定番、まずはこれがあれば落ち着く方が多い、スケジュールの視覚化。
ソーシャルスキルトレーニングにも。これは感情を表すボキャブラリーの導入場面。良い、悪い、その中間、、、とグレーゾーンも感覚的に位置でソートできる。
カウンセリングであちこちに飛びがちな出来事の振り返り話を、気持ちも聞き取りつつメモ。ビジュアルでエコーされると、話しやすくなるみたい。
算数にも。
口でごちゃごちゃ言われても、ぽかんとして一向に頭に入ってこない、という体験は私にもよくある。
なので、全然分かってなかった子が「おお!なるほど!」というような顔をして、それを見ながらひとり嬉々としてワークシートを仕上げ始めるようなビジュアルがあげられたときは、私も、良い仕事した!と思う。
芸術の効能
I can't tell how much and how many times musics saved my life.
ある年のクリスマス時期、突然大切な人を見送らなければならなくなった。その別れは多くの大切だったものとの強制的な訣別を含む種類のものだった。
当日に予定されていたコンサートは、申し訳なかったがキャンセルさせてもらった。葬儀でも歌ったが、喉がかれていた。ほんの数日眠らないでいるだけで、声は出なくなる。
翌日、点滴を打ち、薬を飲んでいちにちじゅう眠った。もう一つ予定していた、クリスマスイブのコンサートに出るためだった。次の日、声は戻り、ぶじに歌うことができた。
その後、あるきっかけで“Danny Boy”を歌ってみようと思った。楽譜を入手したが、歌おうとすると歌えなかった。私はこの歌を歌うと泣いてしまうんだ、と分かった。
“Danny Boy”は有名なアイルランド民謡だ。素朴で美しいメロディと言葉。特殊な琴線に触れる類いの歌である。「泣きそうになるようなメロディ」というのはときどきあるものだが、実際に泣いてどうにも歌えなくなるほどなんてことは、普通はない。
けどこの時は、この歌がふれる小さな琴線が、些細な揺れを感じただけでも誤作動して、それとつながりのある感情のバケツをひっくり返すようになっていたみたいだった。
同じような誤作動は、他のいくつかの音楽、映画や小説でもみられることが分かってきた。そして私はその誤作動を求め、いつもより熱心に読み、聴き、そのような感覚をゆさぶる作用のある作品を探し、体験するようになった。それは、普段の読書体験や音楽体験とは種類の異なるものだった。
村上春樹のエッセイ集「村上ラヂオ2」の終わりの方にこのようなことが書かれてある。
「音楽はその時たまたまそこにあった。僕はそれを無心に取り上げ、目に見えない衣として身にまとった。人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。
小説にもまた同じような機能がそなわっている。心の痛みや悲しみは個人的な、孤立したものではあるけれど、同時にまだもっと深いところで誰かと担いあえるものであり、共通の広い風景の中にそっと組み込んでいけるものなのだということを、それらは教えてくれる。」
私はそれ以前の人生においても、知らないうちに音楽や物語に助けられてきた体験があったのかもしれない。だから、ここで村上さんが書いているような、音楽や物語の実用の機能を、必要なときに無自覚に使うことができたのではないか。「芸術を通して "共通の広い風景"にアクセスしなさい。そこで休みなさい」と誰かから教わったわけでもないのに。私は、水際にあるよい水草を選んで食べて体調を整える鴨のように野性的だった。
また落ち着いたら“Danny Boy”を歌ってみよう。涙が出そうになるようなメロディの美しさは変わらないけど、あの琴線からバケツへの特殊な誤作動ルートは、もう閉じたんじゃないかという気がする。
止めてくれるカンガルーがいないので
小学生の頃から読書が好きで学級文庫(って今もあるのかな?クラスに置いてある本)は全部読んでいた。
同じく読書の好きなT君と、よく本の情報交換をしていた。
T君はりんごの木の下の宇宙船、とかいう(題名あやふや)物語が好きで、あれを読めと勧めてくれたので読んだ。最初はごく普通の暮らしをしている少年なのだが、カンガルーが出てきて宇宙船が出てくる。確かカンガルーがしゃべる。
その宇宙船に乗った少年はお腹が空いたという。文明のすすんだカンガルーは小さいクラッカーとか、まめつぶみたいな食べ物をすすめる。
なんだこんなものしかないのか、、、と少年が口に放り込もうとするとカンガルーが大慌てで止める。そんなにいっぱい口に入れちゃ、あぶない、ひと口かじるんだ。
少年が訝しく思いながらも一口かじると、濃厚なスープの味が口全体に広がる。うわっ!と思い別の豆をかじるとこちらはオイルサーディン。よく焼けた肉の味、アイスクリームまで、、、。みたいな話。
物語に出てくる食べ物って本当においしそう。今日これを思い出したのは、
お昼にこのお弁当をもらってたべたから。
で、右下の星なんですが、生麩かこんにゃく的かみごたえの、やや水っぽい味を想像して適当に口に放り込んだんです。りんごの木の下の宇宙船の子くらい無防備に(止めてくれるカンガルーがいなかった)。
もぐもぐ、飲み込んで、ボンッ、うわっ!って何というか、喉越し辺りで、濃厚さが爆発したみたいになった。
何これ?!と思ってお品書きをみたら
「伊勢海老の固形スープ」
ですって。
そこで、私はやっと気が付いたんです。
時代はもう未来なんです。
文明はすすんだんです。
気を引き締めた私は、
2個目の星を、もう少し慎重に食べました。