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投影 と 投影性同一視 ・・・自分なりに区別してみる

・「投影」が内的な世界に留まるのに対し、「投影性同一視」はその内的世界の通りに、実際に相手を操作するステップが加わることが違うみたいです。けどその操作にも行動に出るものとでないものがあるみたいです。

・あと「投影」には1つの状況でもいくつかのストーリーバリエーションが考えられ、そのうち1つが「投影性同一視の、操作ナシバージョン」に当たる、と言そうです。そのせいで区別しにくくなっているのかな?と思うのですが、どうでしょうか?

<自己の性的な欲求を認めたくないAさん>という人がいるとして、

◇投影は

例1) 電車で目が合った人が、自分Aに対して性的な欲求を抱いているのではないかと考える

例2) カップル、露出の高い服を着ている人などを見て、過度に性的であると捉え、嫌悪・批判する

とか・・・でしょうか?それに対して、

◇投影性同一視は

例1)電車でよく乗り合わせる人が、自分Aに対して性的な欲求を抱いているのではないかと考え−>Aは電車に乗る際、露出の高い服を着る、近づく、見つめるなどするようになり、Bが自分に対して性的な欲求を抱くようにふるまう。(−>実際にBが近づいてきたら嫌悪し、扱き下ろす?)

…例1)はどちらも似た状況からはじまるけど、同一視が入ると−>以降の行動が追加され、そこからがBPD的、ということかな?と思います。
 
※ただ、性的なことを例に考えて見ると、こんどは「演技性PD」との区別がちょっと判りづらい気がします。
 
それ以外で投影性同一視の例を探すと
 
・自分の学歴を自慢したく、周囲からも褒めてもらいたいが、それをできない人が、他者を見て「あの方、すごい学歴なんですよね、頭良いんですね」と褒めちぎる
 
とか、
 
・自分勝手でよく人に迷惑をかけている人が、身近な人のちょっとした言動に対して「何て自分勝手な奴なんだ」と過度に怒り狂う
 
みたいなことも挙げられています。これは「他者を鏡のように使う」ということの例で、本当はただの自己愛とか自己嫌悪なんだけど、他者を鏡に写った自分のように見ている(つまり本当は他者の本当の姿を見てもいないし、興味も持っていない)という風に考えられると思います。
 

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