痛さのスケール
今日はアートの時間に担当の子どもが、カーペットの段差につまづいてコケた。
表出言語が弱い人は、痛い、休憩したい、しんどいなどのときにも、単に言わないだけでなく、自覚症状からして乏しいというか、爆発してしまう直前まで感じられないようなことがある。
なので、やはり、感覚やその度合いにも、分かりやすい名前をつけて教えていく。
ナースに行って見てもらって、ひとまず大丈夫そうなので、その後、痛さのモニタリングを教えるチャンスとして活用させてもらった。
まず
th「どこが痛い?」
子は、無言で、自分のひじと、ひざをさわる。
th: ああ、そうか。じゃあ「ひざと、ひじが痛いよ」やね・・・
→ホワイトボードにひじ、ひざのワードと絵をかき、すぐもう一度聞く
th:どこが痛いの?
ch「ひじと。ひざがいたい」→そっか、教えてくれてありがとう。
th: ひじは、どのくらい痛い?0が全然痛くない、5が痛すぎてどうしようもないくらいだったら、0から5で?→ホワイトボードにスケールを描き、見せる。
→子、4を指差す。
th:そっか、「ひじが4くらい痛いよ」やね。
→ホワイトボードに「4」とかいて、すぐまた聞く、
th: ひじは、どのくらい痛い?
ch「ひじが、4くらい痛いよ」そーか4か、教えてくれてありがとう、けっこう痛いねえ。こおりもらってきて、冷やそうか?
それから、ひざはどれくらい痛い?
ch「ひざも4くらい」
でも言って気が済んだようで、氷はいらなかったみたい。
お帰りの準備のとき(忘れた頃)、もう一回きいたら、うん?と考えていた。どのくらいかな?と感じようとしていた、というのか。ひじの痛さは4.99、ひざは0になっていた。
th:おお、ひざはもう痛くないんやー、でもひじは、もっと痛くなってるんやね、って言うと、
ch:そうそう。って。
彼は今日はころんで泣いたけど、
「痛みにも度合いがあるなあ、変わっていくなあ」ってことにも、ちょっと新しく気づいたみたいだった。
言葉を使ったコミュニケーションは、人と繋がりをつくるためだけではなく、他者と言葉を交わすことを介して、自分の状況やニーズがよりよくわかる、という効果もある。
しかし、誰かが
「お腹すいたね。」と言ったとき
→0がまだ半日くらいは食べずにいける、5が意識が朦朧として食べ物の幻覚が見えるほど、ってゆーたらどれくらい?
とか
「君のこと、好きだよ。」って言われたとき
→0が全く興味ない、5が今すぐ結婚したい、でゆーたらどれくらい?
なんていうことを言ってたら、
まあそのうち、話しかけてくれる相手が減るだろうなあ。