予想外のワイン
近所に酒屋さんがやっているワインバーがある。
店構えは小学校の近くにある文具やのような素っ気ない佇まいだし、けっこう駅からも遠いし、住宅街にポツンとあるのに、いつも遅くまで賑わっている。
ある日入ってみて、グラスワイン飲んだらあまりにも美味しいのでまた行きたいなあと思っていた。
昨日久しぶりに、ロシクンとやってるブッククラブ(週末の内向的同士の飲み会)で行って、三種類の白グラスワインを飲みながらスクリーンに映ってる映画(ユーガッタメール)をぼんやり観ていたら、バーテンさん経由で斜向かいに座っている方から、せっかくだからちょっと匂いを嗅いでみるのはどうかということで赤ワインを頂いた。
それはぶどうの酸味とか渋みみたいな、思ってた赤ワインの感じと大幅に違っていて、樽とかシナモンのような香辛料というか木を感じさせるような、癖のある食べ物のおいしいところを食べているときの感じがした。
バーテンさんは、こういうのは隠微と表現するのがぴったりだと言っていた。人の脇の下の匂いが好きだったりすることあるでしょうと。
ワインに隠微とはなんちゅう表現とも思ったがなんとなくわかる気もする。チーズでゆうたらブルーチーズとかパテとか白子とかチョコレートとか雲丹とか蟹味噌とか、くさいという人もいるが美味しいやつ、あるよね。ああいう癖ほど強烈な感じではないけど、近づかないと気付かないような、こもってる感じの強い個性がありました。
人でも、遠目には目立たないけど、油断して近づくと魅力が強くて離れがたい人というのがいますよね。
まあ、その隠微な魅力を持ったワインは
シャンボールミュジニー ド メーヌ トプノメルム 2004年
という名前でした(しらんけど。。。)。
そのあと斜向かいのお客のうちひとり(バーテンさんまでが、そのひとをワインの先生と呼んでた)とバーテンダーさんが「ブラインドで」って奥に引っ込んで赤ワインを6つのグラスに注いで持ってこられた。
どこの?いつごろの?なにぶどうの?なにワインなのか?
グラスを回しまくりながら、ニヤニヤしながら意見を言い合う。神々の遊びに巻き込まれたかたちで私とロシクンも飲んだ。私たちはど素人なので「ワイン当てクイズ」にはとても口をはさめないはずが、ロシクンは「赤ですよね?!」と、見たら分かるその色を、勘で言ったかのように発言した(心臓が強い)。
そのワインも美味しかったけど、特に隠微でない味だった。
私は隠微だった方が美味しかったと思う。
おしえ
2011年購入のMacBookAir11インチが不思議な誤作動をするようになったため、買い換えを考えている。
ソフマップのapple売り場に行くとどんな質問にも瞬時に答えてくれる人がいて、よく分かってなかったことを色々と教えてもらった。
MacBookAir13インチ一択と思っていたが、ついでに見せてもらったMacBookProが意外と薄いし画面綺麗だし、タッチバー面白い。スペースグレーも石みたいで良いな〜、そういえばなんかAirのアルミの色ってちょっと飽きた感じ・・・。更に、Airはもう11は廃盤だし、この13インチも2年前に出たきり、もう次は出ないかもしれないなんていうとじゃあ修理のことはどうなるのかなとか、だいたいAirの13インチってデザインに余白が多いなーと思ったりして、迷い始めたので、いったん帰る。
これまでは重さ、価格、メモリとストレージくらいしか比較してなかったけど、家でネットで調べてみると、みなさん本当に色々なことを気にして選んでいることが分かった。なんとアップルマークが光らない光る、ロゴがどこについてる、みたいな見た目を気にしてる人もけっこういるんですね。りんごが光ってるって初めて知った。あと充電の差し込み口がマグネットかそうじゃないかとか、キーボードの打感、音、USBポートの型、個数、位置、各種アクセサリーも正規品とそれ以外のものがたくさん。
ともかくProの新しいのには心惹かれたが、いまのところすごく評判が良いわけではなさそう。半年待てるなら、もうちょっとProの改良を待って買いたいところだが、今欲しいわけだし。
更に買い方も、アップルストアでカスタマイズ、価格.comで最安値、家電ショップでポイントのパーセンテージ比較、認定制備品、あるいはAmazonで道具を購入し、この11インチのねじをいったん締め直し、掃除してみてから・・・とか、調べれば調べるほど収束せず、買い替え検討開始から3日後、選択肢は増えるばかりであった。
私の脳内メモリがMacBook各種比較検討に埋め尽くされていた。そろそろ決めなくては、時間の無駄だ。そこで、
えーと、そもそも必要なものは、何だったか。
と自分に問いかけたところ、ふと幼稚園の頃のおべんとうの記憶が出てきた。
非常に唐突だがその記憶を辿る。
4才のころ私の通っていた園のお昼ごはんは、主食だけを持参するシステムだった。小さい弁当箱にご飯のみを入れて行くことに決まっていた。
しかしある朝、母は炊飯器にごはんがないことに気付き「mちゃん今日おべんとうのごはんなくなっちゃった。タカヤさんのおばちゃんにもらえるか、きいてみようか」と言った。母は隣家の優しいタカヤさんのおばちゃんに電話をかけ、ごはんの段取りをつけると「今からmが行きます」と言った。
私はからのお弁当箱を持って隣家にご飯をもらいにいくという非日常感のあるミッションに興奮していた。何を話したか憶えていないが、おばちゃんはげらげら笑いながらお弁当箱にごはんをつめてくれた。幸せな社交の時間であった。子どものいないタカヤさんのうちは大人仕様で、ちびの私からはおばちゃんがつめている弁当の内容は見えなかった。
帰って母に見せると母は「あら、これはいかんなぁ」と言う。何がいかんのですか!と思ったものだが、タカヤさんのおばちゃんは白ご飯の上に、ゆでたまごの黄身をうらごししたものやピンク色のでんぶという甘美味しい食品や、菜の花みたいなゆで野菜までカラフルにもりつけてくれていたのだった。それはいつもの素っ気ない白飯とは別格の気品ある弁当となっていて、私はとても気にいった。これごはんじゃなくて、絵みたいやんか。
しかし幼稚園のルールで「ごはんは白のみ。何かのせるのは、いたみやすいので禁止」ということになっていたため、母はとにかく「これは、きれいやけど、いかんのやで」ともういちど私を諭し、飾りをすべて小皿にあけてしまった。
「そう、いかんのですね・・・」がっかりするようで、そういうものかと納得するようで、けどまあ、どちらでもいいや、というような感じがあった。その頃の私は「素直・あまりよくわかってない・数歩歩くとすぐに忘れる」という、にわとりのような頭脳を持っていた。
それだけの記憶である。
さて、なぜ「MacBookAir不具合&次何買う問題」でこんな昔の弁当のことを思いだしたのだろうか。
えーと、「白ご飯を調達すればよいのだ、桃色でんぶに惑わされずに」という母の決然とした感じを参考にすればいいのか。これ参考になるか?
しかし意外なことに、この記憶にアクセスしたことで、3日悩んだ機種と購買手段選択にすっきり答えが出せた。
記憶の抽出しがあくときは、いっけん脈絡がないようでいて、わりに自分の考えの本質を浮き上がらせてくれる。
今回は起きてるときに出てきた記憶だけど、寝てるときに見る夢も似ている。この哲学者みたいな抽出し現象、もっと頼りにしたいけど、どうやったらもっと素早く適切なメタファー的記憶にアクセスできるようになるのだろうか。
日付
仕事で、子どもに個別指導をすることがある。
ワークの添削をしたあとなんかには、日付を書き込みたくなる。
わたしはだいたいその日が何日かをきちんと覚えてないので、
その場で子どもに「今日、なんにちかな?」とたずねる。
で、その子が答える日付を書き込むんだけど、ある日6さいの女の子が
「あのね。3がつ、32にち。」
と、大人っぽく自信ありげに答えた。
「わたし日付はきちんと知らんけど、さすがにそれはないで」
とは思ったが、こちらがたずねたわけだし、あまりにも自信ありげだったので
「そうか、ありがとう」と答えて
3/32
と書き込んでみた。
やはり、日付としては、32は違和感があったが、
面白かった。
(画像:そういえばこういうのあったな、と思いだしたケストナー作品)
頑張ろうと思う話
勉強や仕事を続けてきて良かったと思えるような日が稀にある。
その瞬間にはぶわーっと腕に鳥肌が立つ。
今日は数ヶ月ぶりにそんなことがあり本当に嬉しかった。また頑張ろうと思う。
よいホテルの条件と、取り憑かれることについて(メモ)
「ホテル・ニューハンプシャー」の終わりの方にでてきた、父さんが語る「よいホテルの条件」は、自分が心理士として人に関わるとき目指したい役割と似ているように思った。また読み返せるように、ここにメモしておきます。
「つまり、わたしはどうしても誰かに話を聞いてもらう必要があったんですが、気持ちの整理がつくまでは、何もかも話さなくてはいけないとは思いたくなかったんです。そしてここのいいところは、誰も強制しないことです。どういう気持ちをもつべきだとか、どういうふうにすべきだとかいう人は誰もいません。むしろ、ひとりではなかなかそういう気持になれないのを、もっと簡単にそうなれるように手を差し伸べてくれるのです。わたしのいうことがわかっていただけるかしら」と、シルヴィアは言うことだろう。
そして父さんは言うだろう、
「むろん、あなたの言うことはわかりますよ。何年もこの仕事をしていますが、それこそよいホテルの資格というものです。つまり、空間を提供するだけなのです、それから雰囲気をね、みなさんが必要としているものにふさわしいような。よいホテルというのは、空間と雰囲気を何か寛大なもの、おもいやりのあるものにするのですーーーよいホテルは、みなさんがそれを必要としているとき(そしてそのときだけ)みなさんに手を触れる、あるいはやさしい言葉をかける、そういったような意思表示をするのです。良いホテルは、つねにそこにあるけれど」父さんは野球のバットで彼の詞と歌の両方の指揮をとりながら言う、
「しかし、まとわりついていつも監視しているというような気持は決して与えないものです」
「そうですね、そのとおりだと思いますよ~どういうわけか、全部わたしから引き出してしまうんだけど、それが決して力づくじゃないんです」彼女たちは言うだろう。
「さよう、決して力づくじゃないんですよ」父さんは同意する。「よいホテルは何ごとも強制しないのです。わたしはそれを共感空間と呼びたいですな」
(中略)
「それに」とシルヴィアは言う、
「ここはみなさん親切です」
「さよう。それこそわたしの気にいっているよいホテルの条件ですよ!」
「もし第一級のホテルに部品として、こわれた部品としてくるなら」父さんはとめどなく続ける、
「その第一級ホテルを発つときには、ふたたびもとの完全な姿になっている。わたしたちは完全に元どおりにして差し上げる、しかしそれはほとんど神秘的な形で成しとげられるーそれがわたしのいう共感空間なんでねーなぜならふたたび元どおりになるよう強制することはできないからです。自分なりの方法を作り上げていかなくてはなりません。わたしたちはその空間を提供するのです」「空間と明りを」
それから、もうひとつ参考になったのは「取り憑かれる」ということについてもメモ。
ボブ・コーチは最初からそれを知っていた。取り憑かれなければいけないし、しかもそれを持続しなくてはいけないと。開いた窓の前で立ち止まってはいけないのだ。
これは主人公の祖父の忠告。取り憑かれなければいけない、それはなぜなのか。取り憑かれたような人はときどきみっともない。けれどもとにかく立ち止まらない。そのおかげで知らない間に、もっと大きな恐ろしい影(自分の中にあるもの)から逃げ切れるのかもしれない。
期限、まとめて
図書館で借りていた本の返却期限が来ていたので残りの3冊をどうするか。ちょうど春休み。いつもより時間に余裕はあるが、することも沢山ある・・・。これまでに読めなかったということは、今無理に全部読むこともない。何となく本に申し訳ないが、ざざっと読んで判断することにした。
・河合隼雄さんのエッセイ「猫だましい」
−>猫にまつわる本とたましいについての考察。読み始めるとすごく面白い。でも今回は「ざざっと読み」と決めてるので、気にならない章はとばす。
−>結果:宮沢賢治の猫出演作の立て続け解説が素晴らしかった。「セロ弾きのゴーシュ、猫の事務所、どんぐりと山猫、注文の多い〜」の4作について。
−>更に:猫絵本解説も良かったなあ。特に「百万回生きた猫」の解説。いつもながら、河合隼雄さんに解説してもらうと、色々な児童文学作品群がなぜあれほど自分の心をひいたのか、そのときどんな役割を果たしてくれてたのかということがわかる。
−>読みたくなった:「空飛び猫、綿の国星、猫と庄三と二人の女」−>早速Amazonで古本を注文したら綿の国星が届いた。すんごく面白い。
・「マシュマロ・テスト」
−>ウォルター・ミシェル博士の長期に渡る実験結果を分かり易く書いてある。報酬を先延ばしにする実行機能がどんな役に立つか、どのように育てることができるかということが報告されている。
−>すでに7割ほど読み終えていて面白かったので最後まで読んだ。心理学や科学、研究することを実際に社会でどう役立てるかについても学ぶ。
・「世界のすべての7月」
−>ティム・オブライエンの小説。読みかけてほおっておいたんだけど、ちょっと気になって別の章を読んだら読めた。群像劇だった。またとばして読みやすそうな章を読む。訳者あとがきを読む。
−>結論:うん、面白いけど、また飛行機とか乗るときに通して読もう。
それにしても、図書館便利だなあ。